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浄念寺の歴史


『浄念寺由緒書』によれば、先祖は淺原八郎為頼といい、雲州猿掛の武士。八郎死後、子孫は芸州高田群新庄に住し、吉兵衛という。応仁の乱で世は荒廃し、栄枯盛衰を目の当たりにして、武運の拙さ、生死のはかなさを感じ、刀を捨てて各地に漂白し、大島に渡り安下庄を安住の地に定める。

 

当時本願寺は八代目の蓮如上人の時代。西国の布教を目指して派遣された堺・善教寺の僧「正祐」が大島に立ち寄り、その教えに心開かれた吉兵衛は、九州布教を終えて帰る正祐に同行して、本願寺に詣で、蓮如上人に拝謁し、「おかみそり」を受け、法名「浄念」といただく。しばらく上人のもとで研鑽を積んだ浄念は、文明五年(1473年)大島に帰り教えを広めんとお暇を申し出たところ、上人より「九字・十字」のお名号を拝領します。

 

安下庄の地に灯った小さな灯は、おそらくそのあばら家にお名号を安置しての始まりだったと思われますが、人々の心に明かりをともし、やがてその輪を広げていきます。

 

二百三十一年後、安永元年(1704年)七代住職「吏丹」の時、外入に移転します。

 

明治三十七年(1904年)十二代住職「賢譲」の時に現在の本堂が建立されました。百二十一年前のことです。

 

現住職の継職法要が平成六年につとめられ、本堂の屋根葺き替えの大修復が、記念事業として行われました。

 

(浄念寺だより令和7年3月25日号より)