· 

【周防大島民話】宗教に関すること2025年2月22日

法然は「南無阿弥陀仏」をなぜ見つけたか?


今日は2月22日。浄土宗の宗祖・法然上人のご命日だ。西光寺では御忌法要が行われ、門徒たちとともに「南無阿弥陀仏」とひたすら称えた。静かに響く念仏の声に包まれながら、ふと「なぜ私たちは南無阿弥陀仏を唱えるのか?」と改めて考えた。

 

念仏とは、ただ阿弥陀仏の名を称えるだけで、必ずその導きを受け、極楽へと生まれ変わることができるという教えだ。難しい修行をせずとも、誰でも救われる──それが法然上人が説いた道である。だが、法然はなぜこの教えを広めようとしたのだろうか?

 

法然は13歳で比叡山に入り、厳しい修行に励んだ。しかし、そこで学ぶ仏教はあまりにも難解で、悟りを得るには高度な修行が必要とされていた。「これでは、普通の人々は救われないのではないか?」──法然はそう疑問を抱くようになる。

 

29歳のとき、中国の僧・善導の書物を読み、彼の考えは大きく変わる。そこには「阿弥陀仏の名を称えれば、誰でも救われる」と記されていた。これこそが、万人が救われる道なのではないか。そう確信した法然は、比叡山を離れ、念仏の教えを広めることを決意する。

 

「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生が叶う──この教えは、貴族や武士だけでなく、学問のない庶民にも広がった。しかし、当時の仏教界では異端とされ、法然は流罪となるなど厳しい迫害を受ける。それでも彼は念仏を唱え続け、最後までその信念を貫いた。

 

今日、法要の後もずっと「南無阿弥陀仏」の余韻が耳に残っている。ただひたすら称えることが救いにつながる──法然が伝えたかったのは、まさにこのシンプルな真理だったのだろう。

法話「準備」


皆さま、本日は「準備」というテーマでお話しさせていただきます。

 

私たちの人生において、「準備」はとても大切なものです。たとえば、旅に出るときには荷物を用意し、仕事をするときには計画を立てます。農作物を育てるにも、土を耕し、種をまく準備が欠かせません。どんなことでも、しっかりと準備をしてこそ、良い結果につながるのです。

 

さて、仏教の教えにおいても、「準備」は重要な意味を持ちます。法然上人は「南無阿弥陀仏」を称えることで、極楽往生の準備ができると説かれました。日頃から念仏を称えることは、まさに来世への旅支度とも言えるでしょう。

 

この世の中は無常です。いつ何が起こるか分かりません。しかし、どのような変化が訪れたとしても、心の準備ができていれば、慌てることなく受け入れることができます。逆に、準備がないと、突然の出来事に心を乱され、迷いの中に取り残されてしまいます。

 

仏教には「一念普回(いちねんふえ)」という考えがあります。これは、一つの念い(おもい)がすべての行動の根本となる、という意味です。日々の生活の中で、少しずつでも念仏を唱え、仏の教えを心に刻むことで、私たちは迷いから離れ、安らかな心で歩む準備ができるのです。

 

皆さまも、日々の念仏を大切にしながら、心の準備を整えてみてはいかがでしょうか。いつか訪れるその時が来ても、安心して阿弥陀仏の導きに従い、穏やかに旅立つことができるように。

 

どうか、「南無阿弥陀仏」とともに、今日という一日を大切にお過ごしください。

西光寺本堂。古田住職。木魚や塔婆があるのが浄土宗で浄土真宗との違い。
西光寺本堂。古田住職。木魚や塔婆があるのが浄土宗で浄土真宗との違い。
百万編数珠操り念仏。本来はこの大きな数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える行事だが、門徒が少ない上高齢者しかいないので。数珠まわしはできず。
百万編数珠操り念仏。本来はこの大きな数珠を回しながら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える行事だが、門徒が少ない上高齢者しかいないので。数珠まわしはできず。