· 

【周防大島民話】利便性に関すること2025年2月18日

周防大島にテレビが全般に普及したのは昭和39年からであった。昭和32年には受像地区にになって、町内に23台のテレビが入ってきた。昭和39年は東京オリンピックの年で、各家庭がこれを持つようになっていた。

 

しかし、テレビの普及はいままでの身分相応という人生観をかえた。他人がよい生活をしているのに自分だけが苦しい生活をしなければならないという矛盾である。土まみれになって働くことの馬鹿らしさが、多くの人の共通観念になってきた。

 

と同時にその結果が、台所、風呂場、便所の改造につながった。燃料はプロパンガスになり、薪を使用する者はほとんどなくなってしまった。薪とりの作業がなくなった。松喰い虫のために松が枯れてもと伐ろうとする者もそのためであり、踏み立ての山道がジャングルの中へ消えていったのもそのためである。

 

生活は明らかに便利になっていたが、そのために必要な経費は、農外収入でまかわれることが多くなってきた。